このブログ(自分史)の目次

古いブログにどのような内容のものがあるかは、分かりづらい
 == 故に、ブログ(自分史)の目次を作成した ==

各項目をクリックすれば、その項目が別ウインドで開きます
       最終更新日:2014-7-14

なお、各々のブログ内に於いて
写真、図、表 などは、クリック で「別ウインドウ」に拡大表示
・参考文献 [ (参照)] は、クリック で「別ウインドウ」で表示
 ,,,,,➢➢➢その「別ウインドウ」を閉じれば、元に戻る

最新ブログ(更新したもの) 2014.5.11
234)お母さん(継母)死亡、2004年 =>第八部


第一部 満州からの引揚げ(孤児、満州三兄弟)


01)満州からの引揚げ
02)上海での優雅な生活 - 幼少時から小学校低学年
03)上海での優雅な生活 - 新公園の思い出
04)上海での優雅な生活 - 狄思威路アパート
05)感激の瞬間、アパートの部屋発見
06)貧困な中国社会、その後の発展
07)「人民元」と「兌換元」
08)僕が経験した上海の現実
09)日本海軍特別陸戦隊
10)小学生の僕が美味しいと思った食べ物
11)上海から、満州・奉天へ疎開
12)ぼた山に人骨ギッシリ
13)[ぼた山に人骨ギッシリ] の考案 - アメリカおよび日本の狂気 == 外国から約300通のコメントあり、非公開とした
14)終戦、そして西本願寺に逃げ込む
15)ソ連軍、八路軍、そして国府軍の駐留
16)母ちゃんが死んじゃった
17)シラミと過ごした8ヶ月間
18)誰か食べさせてくれた人がいたか
19)盗みカッパライで食べた孤児の生活
20)優しかった満人の露天商(ポップコーン、煎餅)
21)満人の「人さらい」はいない
22)人殺し方法を夢見た日々
23)まる裸・フリチンで市内を縄跳び、捕まった
24)戦後の学校教育、冬の「三寒四温」
25)虫食いだらけのビスケット
26)引揚げ途中、10円貰ってオニギリ1個
27)引揚げ途中での悔しさ
28)引揚げ乗船前の行軍中のイライラ
29)引揚げ行軍中の生涯忘れえぬ大感激
30)人間魚雷発射軍艦(?)でコロ島から博多港へ
31)下船延期、博多の検疫病院に健三が入院
32)無一文引揚者に対する金銭援助・給付金
33)帰郷後、僕らを探してくれた人
34)奉天(瀋陽)を訪れる
35)メッセージになる僕らの体験
36)【付録】貧困な中国社会、その後の発展
37)【付録】アメリカおよび日本の狂気【本/社会】
 == 外国から約700通を超えるコメントあり、非公開とした
38)「自分史を書くに至った理由」
39)抜けた真ん中、帰ってきた3番目



第二部 小・中・高校生時代(帰国後)

40)感心感心と云われて戸惑う、兄弟三人の引揚げ
41)全く分からない鹿児島弁
42)鹿児島の女性差別
43)小学生生の決闘、喧嘩の順番
44)雪の中を裸足で登校、小学生の時
45)川泳ぎ、大雨後の増水時に流される
46)川釣りを楽しむ
47)銀しゃりをたらふく食べた食べた
48)カイコさなぎの味噌汁、食べさせられた
49)ニッキの木の根をかじった
50)父の生前遺言「親兄弟でも保証人になるな」
51)小学生の僕が営業した貸本屋
52)金回りが良いのでチビのガキ大将になった
53)僕はレンタルビデオ店の先駆者だ
54)小学生の時の遊び(1)夢中になった遊び
55)小学生の時の遊び(2)特に熱中した遊び
56)父の再婚、健三を養子に出す
57)父への反抗、継母いじめ
58)健三「生みの親より育ての親」
59)真空管ラジオの制作、小学5年生
60)僕は勉強できると判明、鹿児島市内の中学に転校
61)僕は家を出て、長男としての任務は俊二へ
62)親に内緒でラ・サール高校を受験
63)開校当時のラ・サール高校の環境
64)ラ・サール高校でのクラブ活動
65)タイプライターで肖像画を描く
66)ラ・サール学園のハーモニカ部
67)ハーモニカ独奏について
68)分散和音奏法、ハーモニカ独奏
69)ラサール高校寮の環境
70)寮生の食事、娯楽、勉強環境
71)ラ・サールでの猛勉強の経験
72)工学部志望、このため浪人を希望
73)念願の予備校生活
74)4ヶ月間で浪人生活挫折
75)桜島の爆発、昭和30年
76)本に収まるポータブルラジオの制作
77)肺結核に対する恐怖心



第三部 大学・医学部時代(ジャズドラマー)

78)トランプで決めた医学部への入学
81)医学部・教養時代の生活
82)いいアルバイトと、キャバレーを紹介された
83)「水酌んでこい」「タバコ買ってこい」
84)ロカビリーを聞きに東京に行く
85)ミュージシャンの生活環境
86)ジャズの歴史
87)デキシーランドバンドに紹介された
88)平原勉のデキシーランドバンドの経験
89)ドラマーとしての評価を得た!
90)博多のキャバレーでの経験
91)父「それも良かろう今迄通り金送る」
92)長崎の「銀馬車」にドラマーとして勤務
93)ジャズ喫茶に出演
94)「重いリズム」「軽いリズム」
95)帰省中に、布団一式等が入質されていた
96)僕が好きだったジャズプレイヤー
97)非常にノリが良いピアニストとの出会い
98)バンドマスターの経験
99)僕が持っていたジャズレコード
100)フルバンドをコンボスタイルでドラミング!
101)ジャズバンドの構成
102)"アドリブ" と "フェイク"
103)ジャズの分類、三つのジャズスタイル
104)念願かなってビッグバンドのドラマーに
105)外人ショウを途中で中止させた!
106)ドラマーとテクニック
107)ビッグバンドの『ジャンゴ』
108)ジャズアルバイトから完全に手を引く 昭和37年

109)棘突起過敏症、そして肺結核に罹った
110)入院しながらの卒業試験
111)急性虫垂炎の手術、術後、緑膿菌の皮下膿瘍
112)3ヶ月遅れのインターン生活  昭和38年
113)インターン生、医師国家試験前に僻地に出張  昭和38年

114)学生ジャズバンド "スイングボート" 結成  昭和38年
191)新宿ピットインでジャズを楽しむ 55年頃 昭和55年 <= 第六部
192)タモリの店でジャムセッション、2時間 昭和55年 <= 第六部



第四部 大学院時代(アフリカ滞在 1年)

115)大学院でウイルス学を研究することになった
116)アデノウイルスの研究
117)アフリカに行くことになってしまった!!
118)アフリカへの珍道中1 パスポートを忘れた
119)アフリカへの珍道中2 もう飛行機に乗らない
120)アフリカへの珍道中3 インドでコーラ飲む
121)ケニア:ナクールの観光
122)「ムワンザ」到着直後、HeLa細胞のジャー爆発
123)#1 タンザニア「ムワンザ」での日常生活
124)#2 タンザニア「ムワンザ」での日常生活
125)東アフリカに於けるウイルスの研究(1)
126)東アフリカに於けるウイルスの研究(2)
127)ムアンザの夜の顔
128)軍隊内のダンスパーティーで踊り明かす
129)ビクトリア湖畔でくつろぐ
130)ウガンダのウイルス研究所を訪れる
131)タンザニアの道路、交通事情
132)無免許、酔っ払い運転
133)Williamson ダイヤモンド鉱山
134)セレンゲティ動物園へ
135)エピソードあれこれ、タンザニア
136)『マライカ』というタンザニアの歌曲
137)アフリカの土産物
138)銀行を摂取された! 至急帰国になった
139)イミグレーション:ビザを1ヶ月延長
140)タンザニアとおさらば
141)ケニアを観光して、アフリカを離れる
142)帰国した! = バンコック、香港を経由 =
143)ポレポレのタンザニア、コセコセの日本
144)世界一長い英語論文を書いた



第五部 医師として(長崎時代)

145)呼吸器を辞めて消化器専門になることにした
146)ゴルフは絶対にしない!
147)歌舞伎町 1夜で15万円!、昭和44年
148)苦しくない胃内視鏡検査
149)胃X線検査法に凝りに凝る
150) EBウイルス感染症か:高熱とリンパ節腫脹
151)昭和30年代の長崎の経済状態【追記】 => 89)の後半へ転記
152)東望病院での診療業務、家庭サービス
153)父が脳梗塞で倒れる
154)白壁彦夫先生に僕の強烈な印象を与えた
155)佐世保市立総合病院に勤務した
156)日中は診療に明暮れ、夜は "軍隊バー" へ
157)長崎の「早期胃癌研究会」
159)長崎大学病院の文部教官になった
160)「病理組織型別にみた胃癌の鑑別診断」
161)多くなった癌の主題:地方会のシンポジウム
162)巨大な両側性の珊瑚状結石が発見された
163)満州孤児の時の、弟・俊二のワダカマリ
164)紅葉見物「枯葉を見て何が楽しい」
165)胃穿刺吸引細胞診、1973年
166)文部省科学研究費 一般D、個人研究費
167)内定していた学会長を奪い取ってしまう
168)内視鏡学会長が分離独立した理由
169)実行委員として合同秋季大会(長崎) の準備
170)合同秋季大会(長崎)、学会当日の運営
171)田代美代子とデュエットした
172)「カキフライを食べよう」、柿フライ?
173)グルメの僕、特に魚介類が好物
174)死ぬ思いでフグを食べた
176)ライフワークの臨床的研究を論文に出来ず
177)長崎大学医学部の学生運動、昭和50年前後
178)僕は「真性多血症の疑い」ありと
179)息子が「ラ・サールに入学したい」と
180)「君マージャンするかね」と、村上教授
181)長崎大学を辞めて、埼玉に行くことに



第六部 埼玉県立がんセンター

182)採血しない看護婦、埼玉県立がんセンター
183)埼玉まで鳴り響いていた僕のドラマー
184)急性膵炎の為3ヶ月で12Kg体重減少
185)全身麻酔で声帯ポリープを切除
187)埼玉県立がんセンターでの勤務状態
188)灰色の巨塔1、開設時の埼玉県立がんセンター
189)灰色の巨塔2、開設時の埼玉県立がんセンター
190)アジア太平洋内視鏡学会で発表、s55年
191)新宿ピットインでジャズを楽しむ 55年頃 =>=>第三部
192)タモリの店でジャムセッション、2時間 =>=>第三部
193)厚生省から医療援助で沖縄に派遣された
194)抗癌剤のみで完全に治癒した進行胃癌症例
195)進行癌に対するレーザ治療
196)週刊誌グラビア特集の一面に掲載された
197)「ガン告知」がない時代が良かったか1
198)「ガン告知」がない時代が良かったか 2
199)「がん告知」の功罪
200)中心静脈栄養法カテ挿入ミスで大事故
201)「中心静脈栄養法」の進歩、発展
202)「中心静脈栄養法」の発展、CVポート
203)手持金10万円で49坪の一軒家を建てた
204)灰色の巨塔3、昭和50年前後の大学の医局
206)ミュンヘンの国際学会でレーザ治療成績発表
207)「先生は共産党員ですか」と
208)消化器内視鏡学会 埼玉部会の設立
209)厚生省がん研究助成金
212)癌性腹膜炎に有効な "MFP 療法"
213)第8回消化器レーザー内視鏡研究会を主催
214)僕とアツレキを生じていた? 父亡くなる
216)当センター大腸疾患の専門家、若くして急死
217)第8回日本消化器内視鏡学会関東セミナー主催
218)母の「50回忌」
219)業績1:病理組織型別にみた胃癌の鑑別診断
220)業績2:癌に対する化学療法
221)業績3:進行がんに対するレーザー治療
223)業績4:バルーンによるレーザー温熱療法
224)業績5:免疫、X線、症例報告
225)業績6:ウイルス学、その他の研究
226)埼玉県立がんセンター退職 



第七部 雑文、その他

79)「ブーマージャン」
80)「カラ打ちパチンコ」
158)【考察】医者と製薬業界との関係
175)アルコール飲料は放射線防護剤になるか?
186)トランプ占いによる医学部入学、後日談
205)「川身変更の由来」残念至極の先祖の古文書
210)医学的 "差別用語"
211)医学用語・医学略語
215)レセプト病名、保険病名、カルテ病名
222)ルーレット必勝法(確率からの検討)
227)完全な禁煙に成功、55才 
230)風邪に抗生物質は効かない



第八部 がんセンター退職後
228)"雇われ院長" として勤務1
229)"雇われ院長" として勤務2
231) リハビリ専門病院に勤務  <= 2014.4.15更新
234)お母さん(継母)死亡、2004年 <= 2014.5.11更新






第九部 国際学会、海外旅行
232)CPT-11 治験発表、ASCO 1993  <= 2014.4.27更新
233)"ディズニーワールド" 観光、1993年 <= 2014.4.30更新


最新ブログ(更新したもの) 2014.5.11

234)お母さん(継母)死亡、2004年 =>第八部


タグ : ブログの目次

お母さん(継母)死亡、2004年


 平成16年(2004年)3月に
 継母が満83才で亡くなった



継母、八重が 2004年3月21日に亡くなった

母は鹿児島市内のグループホームにて、体調不良になり亡くなった。
親類一族が集まりにくいことを考慮して、
通夜は2日後の3月23日葬儀は翌24日に行った。
長男であるから、喪主は僕が勤めた。

二ツ木家の菩提寺は薩摩郡宮之城町にあるため、
通夜・葬儀は、鹿児島市の自宅近くの葬祭場で行った。

子供である、僕ら三兄弟(埼玉、鹿児島、神戸)、そして妹(横浜)のほか、
母の兄(沖縄)と弟(沖縄)そして妹(東京)、その他の親族が多数集まった。

なお、鹿児島には寺院の外観・形態を呈する "お寺" は殆ど存在しない。

これは、薩摩藩での 「廃仏毀釈」 がすさまじく、庶民の寺院ばかりでなく、島津氏の菩提寺までもことごとく破壊された為である。

しかし、仏教に対する信仰心は日本一であり、お花の消費は日本一である。


 (参照)鹿児島に寺院がほとんどないわけ - Samurai World - FC2
 (参照)菩提寺とは:浄土宗
 (参照)第18回日本で一番切り花を購入するのはどの都道府県?【日本 ...



母の初七日は3月27日に行い、そして、
4月17日に四七日を、父の「十七回忌」と共に行った。

5月8日に、鹿児島の寺で母の「四十九日」を行い、
宮之城町の二ツ木家の菩提寺で法要して「納骨」した。

「初盆」を8月13日に行った。
「一周忌」を平成17年に、「三回忌」を平成18年に行った。
そして、
平成22年3月6日に母の「七回忌」を父の「二十三回忌」と一緒に行った。

 なお、父が亡くなったのも満83才であり、夫婦そろって同じ年齢で、仲が良かったのかな?


浄土真宗の法名と院号

浄土真宗では、他宗派とは異なり、いわゆる "戒名" は「法名」と呼称し、
浄土真宗本願寺派での「法名」は、釋の後に二文字のみで 「釋##」となる。



なお、法名の前に「院号」を付ける場合もある。
「院号」は本来、寺を建立する位の貢献をした者に送られる称号であった。

現在は、本山や手次寺の護持に貢献した者へ送られる名である。
現在、本願寺では、宗門の護特発展に功績のあった人に対して、院号が与えられることになっている。

西本願寺では、20万円以上の懇志をした人に対し、金額に応じてお礼の記念品を数種用意している、そのひとつが「院号」とのこと。
   
しかし、一切衆生は浄土では平等であるという教えから、院号を用いることに対して反対する意見が一部にある。

即ち、「貧富や家柄」と言った「差別に利用されるおそれ」があるので、「浄土真宗はすべて二字法名に統一」した方が良いのではないかと思われる。

院号の要否は、「趣味の範疇」で、「院号は不要」との思想です。

 (参照)法名 (浄土真宗) - Wikipedia
 (参照)浄土真宗の法名と院号について - OCN


通夜でのことである。 僕は、フッと思いついた
「確か父には院号を付けたのではなかろうか」

「もし父に院号を付けていたら、母にも付けなければ不公平になる」
そこで、僕の長男に、父の自宅の仏壇の位牌を調べてきて貰ったところ、
「院号」が付いていたとのこと。

 浄土真宗では「位牌」よりも「過去帳」を大切にする。
 (参照)浄土真宗のしきたり - nifty

葬祭場の人と相談した。
「院号を付けるのだったら20万円以上の上乗せが必要だ」と。
25万円出すことにして、母の法名に「院号」 を付けてもらった。


僕は現在、関東に居住している。
関東での浄土真宗以外の宗派では、"院号"、"道号"、"戒名"、"位号" など、九文字以上の戒名
を付けることが多く、僕は少なくても "院号" は付けるべきである、と思っていた。
そこで、父が亡くなった時、昭和63年の時には、何の疑問もなしに当然のこととして、父の法名には「院号」を付けていたのだった!


二ツ木家での母(継母)の人生(半生)

母(継母)は、二ツ木家に嫁いで来た時は、姑(僕のおばあちゃん)がいた。
その煩い姑の後について畑仕事に毎日出ていた。

そして、非常に こうるさい 小学5年生の僕がいた。
(1) 母親としての態度がしっかりしていない
・洗濯物を収納するタンスの引出しに、きちんと僕らの下着が入っていない!
・「僕ら(僕と弟)よりも、自分が産んだ子供(妹)を大切にせよ!」

、、など。
 -> しかし、継母も僕らに劣らず頑固(強情っぱり)だった!!!

(参照)父への反抗、継母いじめ( 満州から孤児として引揚げた三兄弟 )

(2) 中学2年生の時、
「母と言い争ってばかりいる僕が居るから、我が家・父の家庭は暗いのだ」
-->「だから、僕は父の家庭で生活しない方が良い」
 、と結論して、僕は父母と一緒に生活しないことにした。

--> 琉球からの大学留学生の寮に潜り込んだ
-->その後は、ラ・サール高校寮 -->長崎大学
そして、長男としての任務は次男・俊二に任せた。


(参照)僕は家を出て、長男としての任務は俊二へ(満州から孤児として引揚げた三兄弟)

僕は、小学5年生、6年生、および、中学2年生の3年間しか、一緒に生活していない。
中学1年生の時は、父の転勤にて父母と妹は指宿に住んでいた。


(3) 僕は親に内緒で「私立ラ・サール高等学校」に入ると決めて実行した。
 このことで、父は「お金がないので、父がいる鹿屋市の高等学校に入学すること」、とカンカンに怒っていた。
・・・母は僕の城西中学校まで父の意向を伝えに来たが、僕は無視した。

(参照)親に内緒でラ・サール高校を受験(満州から孤児として引揚げた三兄弟)

(4) 俊二が母に対して「大いにモンクがある」と、僕ら兄弟姉妹その連れ合いを呼び寄せて、母を囲んで母の悪口・問題点をクドクドと云った。
・・・その後、皆がシーンとしていた、、、
「俊ちゃん、お茶を飲むね?」、と、アッケラカン(アッケンカラン) に。

、、、母は、馬耳東風、馬の耳に念仏!

(5) 母は、保健所での栄養士だった。戦後の食料不足だったが、
「兎に角、栄養栄養! カルシウムとしてだしじゃこ【出し雑魚】、青汁・青汁、、、」
〜〜僕は【青汁】だけは、ゴメンで避けていたが、

この為に、栄養失調で引揚げて来た僕ら三兄弟が、ある程度長生き出来ている、と思われる。

自分のことよりも、
父、そして僕らの面倒をみることが、生き甲斐だった、と思われる。

僕ら兄弟は頑固だが、母の頑固さは僕らは足元にも及ばない、
頑固一徹だったので、何とかなったのではないだろうか?

しかし、非常に大変な "半生" だったと思う。  感謝!  感謝!




blogram投票ボタン

テーマ : ブログ
ジャンル : ブログ

タグ : 継母 葬儀 仏壇 位牌 浄土真宗 過去帳 法名 院号

"ディズニーワールド" 観光、1993年


 1993年(平成5年)5月18日に、
 ウォルト・ディズニー・ワールド・リゾート
 で 午後および夜間に、遊興した。




1993年(平成5年)5月16〜18日にオーランドで、米国癌治療学会議(ASCO)が行われた。
この時の学会の余暇、5月18日に "ウォルト・ディズニー・ワールド・リゾート" で楽しんだ。



5月18日に "ディズニーワールド" に遊びに行った

"ウォルト・ディズニー・ワールド・リゾート" は、非常に広くて、パスポートは1週間券も存在した。
1ヶ月パスポート、1年パスポート も存在した、と記憶する。

現在の東京ディズニーリゾートには、1年間利用可能な "年間パスポート" があるようだ。

欧米人の休暇の過ごし方は、長期休暇が取れない日本人とは比べようも無いな、と思った。


"ウォルト・ディズニー・ワールド・リゾート" は非常に広くて、
   1。マジックキングダム・パーク
   2。ディズニー・アニマルキングダム
   3。エップコット
   4。ディズニー・ハリウッド・スタジオ
   5。ダウンタウン・ディズニー
   6。ディズニー・ボードウォーク
   7。その他

  ・・・の非常に広いテーマパークに分かれているとのこと。
このことは、当時は全く分からず、帰国後に判明しました。



入場してから、非常に広くてどこに行ったら良いのか、サッパリ解らなかったが、人が多い方向に歩いた。
人が多いと云っても、日本のテーマパークの約 1/10 以下位の人出だった。
テーマパークが多くて広すぎる為だろう。
僕がウロウロした場所は、ディズニーハリウッド・スタジオ 付近だった?



僕が入場した "ディズニーワールド" の 貧弱な 入り口

img910 ディズニーW-1入口 282-198

,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,非常に広いテーマパーク
,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,img911 ディズニーW-2 282-198

img913 ディズニーW-3 282-198

img914 ディズニーW-4 198-282     img916 ディズニーW-5 198-282


"ディズニー・ハリウッド・スタジオ" 付近、と思われる

img919 ディズニーW-6 282-198

,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,img921 ディズニーW-7 198-282

img923 ディズニーW-8 282-198

,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,img924 ディズニーW-9 282-198

「ユニバーサル・スタジオ・ハリウッド」 の約10倍位の広さかな

img925 ディズニーW-10 282-198



5月18日の夕方から、学会会長招宴がディズニーワールド内のレストランで行われた

人ごみが少なくなった夕方の "ディズニーワールド"
img930 ディズニーW招宴-1

会長招宴の場所は "ディズニー・ハリウッド・スタジオ" 付近か
img931 ディズニーW招宴-2 450-152


夕食をとっていた時に、
いろいろなキャラクターが10数組入って来て盛り上がった。
写真を撮るチャンスがあったのは、下記の5組のみだった!

img932 ディズニーW招宴-3 282-198

,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,img933 ディズニーW招宴-4 282-198

img934 ディズニーW招宴-5 282-198

,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,img936 ディズニーW招宴-6 282-290

img937 ディズニーW招宴-7 282-290

マリリンモンローのそっくりさん・ ウヒー!

,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,img939 ディズニーW招宴-8 282-198



blogram投票ボタン

テーマ : ブログ
ジャンル : ブログ

タグ : ディズニー ワールド オーランド 米国癌治療学会議 ASCO 会長招宴

CPT-11 治験発表、ASCO 1993


 1993年(平成5年) 5月16-18日
 米国癌治療学会議(ASCO)にて
 イリノテカン(CPT-11) の
 後期第II相臨床試験成績を発表



CPT-11 の 第Ⅱ相臨床試験

単回投与による第1臨床試験は、1986 年12 月より開始され、
MTD は 250mg/m2 以上と推定され、
第Ⅱ相臨床試験の推奨用量は、200mg/m2 を3~4 週毎に投与する方法が適当であると判断された。

前期第Ⅱ相試験は、1987 年より、8 つのグループ (肺癌、婦人科癌、消化器癌、乳癌、皮膚癌、泌尿器癌、頭頚部癌及び造血器腫瘍) によって、広範な腫瘍で検討された。

しかし、1 回 200mg/m2 を 3~4 週間毎に投与する方法では、副作用、
特に 「下痢」 が大問題であり、「下痢」「下痢」で、殆ど施行不可能であった。


そこで、「下痢」 の問題を解決しなければ、CPT-11 の臨床応用は全く不可能であり、
二ツ木は、胃癌・大腸癌において、新たな用法・用量を検討し、
2 週に1 回 (150mg/m2) の投与法を考案した。

     
CPT-11 は、300mL以上の生理食塩水(或は、500mLの電解質液)に混和し、90分以上(〜2時間以上)かけて点滴静注した。


「下痢」 は殆ど認められなくなり、

その結果、胃癌.大腸癌ともに "有効症例" が数例認められたので、

第Ⅱ相臨床試験検討会で症例を供覧した。 僕の独壇場であった。


 これを受けて、消化器グループでは、
この二ツ木の 2 週に 1 回 (150mg/m2) 投与法を、"B法"
として取り上げることになった。
B法(二ツ木法)に対して、週1 回投与法(100~125mg/m2)を "A法"として、比較検討した。
A法よりもB法の方が有用であった。


なお、当初の 1 回 200mg/m2 を3~4 週間毎に投与する方法は "C法" としたが、比較検討出来るようなものではなかった。

その後、他の7つのグループでは、各々のグループ内でベストと思われる、いろいろな方法が考案され検討されていた。


1993年5月17日、ASCO で、イリノテカン (CPT-11) の後期第II相臨床試験成績を 発表

1993年(平成5年) 5月16〜18日、オーランドで開催された米国癌治療学会議(ASCO) で、進行胃癌 および 膵癌 に対するイリノテカン(CPT-11) の "後期第II相臨床試験成績" を発表した。

・A Late Phase II Study of Irinotecan (CPT-11) in Patients with Advanced Gastric Cancer. No.584 (poster)
・A Late Phase II Study of Irinotecan (CPT-11), in Advanced Pancreatic Cancer. No.633(紙上発表)

The 29th Annual Meeting of the American Society of Clinical Oncology. at Orlando, FL. USA on May 17(16-18), 1993


(参照)再発 進行胃癌に対する塩酸イリノテカン (CPT-11) の後期第 II 相臨床試験
(参照)進行すい癌に対するCPT‐11(塩酸イリノテカン)の後期第II相臨床試験

      
下痢の対処法について、フランスの学者とケンケンガクガクと意見交換した。

フランスの医師いわく、「下痢がひどい時は、下痢が止まるまでロペミンを2時間毎に服用させれば良い」、と。
僕ら日本人は「そのように多量に服用させれば、副作用が問題になる」、と。
    

・・・帰国してから良く考えてみたら、フランス人の云うことが正しいと反省した。
下痢がひどい時は、経口摂取物は小腸を素通りして吸収されない。

故に、2時間毎にロペミンを服用させたらよい、とは理にかなった方法である!!!



注) 現在では、イリノテカンは特に大腸癌に対して積極的に用いられており、かなり有用な化学療法剤である。
開発の段階において、「下痢」 が大問題であり、投与方法に苦慮したことなどは、現在の若手の医師は全く知らないであろう。

「下痢」 の問題が解決されなかったら、もしかしたらイリノテカンは
現在では存在しなかったかも知れない・・・




img890 口演会場-正面 282-198
口演会場-正面

,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,img893 口演会場-後方 282-198
,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,口演会場 


img894 展示-説明中 282-198
ポスター展示/説明中


,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,img897 ロビー:展示品会場 282-198
,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,展示品会場〜ロビー


img901 僕が宿泊したホテル1 175-123      img906 僕が宿泊したホテル2 175-123
僕が宿泊したコッテージスタイルのホテル


img898 夕食会5/16 282-198
5月16日(学会初日):食事会


,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,img909 夕食会5/17 282-198
,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,5月17日(発表当日):夕食会


オーランドの観光

学会発表後、5月18日(学会3日目)の午後に、学会で知り合ったDrと "ディズニーワールド" 観光した。
その日の夕方から、学会会長招宴として、 "ディズニーワールド" 内部のレストランで夕食会が行われ、 "ディズニーワールド" を堪能した。

上記のことについては、次回、   
「"ディズニーワールド" 観光、1993年」
としてブログ更新する。
(参照)"ディズニーワールド" 観光、1993年 満州から孤児として引揚げた三兄弟

なお、5月19日にオーランドを発ち、ラスベガスに2泊して帰国した。


blogram投票ボタン

テーマ : ブログ
ジャンル : ブログ

タグ : イリノテカン CPT-11 第Ⅱ相臨床試験 ASCO オーランド

リハビリ専門病院に勤務、2000年


 埼玉県で有名なリハビリ専門病院
 "のぞみ病院" に 「消化器科」 を
 開設して 勤務することになった



雇われ院長としての勤務は2年2ヶ月で終わらせた

埼玉県立がんセンターを平成10年3月31日に退職し、その直後の4月1日から "雇われ院長" として勤務した病院は、2年2ヶ月弱の勤務で、平成12年5月24日に急遽 退職した。

病院経営で新理事長と衝突したことが直接の原因であるが、
"責任のみ大きく、予想される万が一の時に、「マスコミの前でペコペコ頭を下げる事態になる」 ことは避けるべきである" 、
との考えが第1の原因である。


さて、今後の勤務はどうしようかな。
「もう "雇われ院長" は懲り懲りだ」
「今後は、内視鏡のテクニックを売り込み、二、三ヶ所の病院に勤務することにしようか」と思った。
    
5月10日ころ、ある製薬会社のMRさんが 
「のぞみ病院はどうでしょう」
「外来部門を大きく広く新築したので、旧病棟の建物は広く空いています」

      
のぞみ病院『 リハビリ専門病院 』
ではないか。
僕は、リハビリ病院に勤務する気持ちは全くなかったが、5月初旬に電話してみた。
そうしたら、「とりあえず話を聞きたい、至急来てくれ」、とのこと。
その数日後、事務長室で、病院長と事務長との話になった。

僕は、「もしこの病院に勤務することになれば、かなり広いスペースの部屋が必要になる」、
そして、「その部屋を内視鏡室として改装して、内視鏡機器一式を購入しなければならない」、
「その為には、5、6千万の費用がかかると思いますが」、と話した。

そうしたら、あっさりと 「 了解した 」、と ・ ・ ・
、、、「 エッ 」 と、僕。


"リハビリ専門病院" である "のぞみ病院" に、平成12年8月、 "消化器科" を新設して勤務することになった

内視鏡室の完備 (前処置室、内視鏡室、患者さんの更衣・安静室、上下水配管、電気系統) などに、約2、3ヶ月かかるとのことで、平成12年 8月1日 からの勤務になった。
   
僕が設計した内視鏡室が完成した。
そして、
備品として、電動内視鏡ベッド(僕は初めての使用である)、内視鏡洗浄装置、 オリンパス製の内視鏡光源・プロセッサー、 高周波発生装置、および、
内視鏡スコープ4本 (GIF-XK、GIF-Q、GIF-XQ、GIF-XP)
など が購入された。

僕は、週2回、火・金に内視鏡検査・処置を行い、月・木は外来日として、週4日間の勤務になった。

勤務した時は、64才だったので、約2、3年後に勤務した若手医師を教育して、
その後はその若手医師に任せることを目標にして、
僕は 約5年間位 勤務することを目的にした。

埼玉県立がんセンター、および、雇われ院長になった病院からの患者さん、そして、僕は 「内視鏡が非常に上手だ」 との噂の為、その触込みでの患者が受診してきている。
   ある患者さんからは 「鼻からの内視鏡検査を受けたが、先生の方が楽だ」 とも云われた。

僕の前処置は、キシロカインによる咽頭麻酔、および、アトロピン、ブスコパンの筋注のみ、
    そして、詳細な説明、いわゆる "ムンテラ" 、である。

最も大切なことは、挿入方法であるが、、、
、、、、・・・・・挿入が下手くそな医師が多すぎる。

「苦しくない」 「楽だ」 ということが、全身のリキミを取り、良いサイクルとなる!
    
埼玉県内の消化器の医師間では、僕が 「リハビリ専門の病院に勤務したそうだ」 「そのような病院に勤務して大丈夫なのか」
と、話の種になっていたようだ。


胃X線検査に関して

大腸のX線検査(注腸透視)は
、大腸内視鏡検査の普及と共に、試行すべきでないという風潮から、試行している施設は皆無になっている。

一方、

胃X線検査(胃透視、MDL)は今まで施行していた医師の大多数〜ほぼ全員が胃内視鏡を行うようになり、ほんの一部の医師(放射線科、内科医の一部)がアクティブに行っているに過ぎない。

これは、胃X線検査は約50年前に、放射線科から内科医が奪い取り、内科の医師が行う検査になっていた。
そして、その内科医の大半が "胃X線検査" を辞めて、猫も杓子も "胃内視鏡検査" を行うようになった為である。


 だから、胃X線検査はマイナーの検査法になってしまっている。
撮影はX線技師が行い、胃X線検査をまともに行えない医師が胃X線フィルムを読影しつつある !

しかるに、現時点(平成26年)でも、 "胃集団検診"、 "健康診断"、 "人間ドッグ" などでは、未だに胃X線検査を行っている。

約三分の一程度の患者さんは、X線にかわって胃内視鏡検査を選択するようになってきつつあるが、、、
      
誤診・誤診の時代になる
、ことは目に見えている。

のぞみ病院では、僕がX線技師を指導して、その技師が撮影し、僕が読影している。
しかし、重要な症例は、僕が撮影している。

今後、のぞみ病院には、胃X線を撮影したことがある、撮影出来る医師が勤務してくることを期待する。


中古3年目の " BMW 525i " を入手

我が家から "のぞみ病院" までは4km しかない。
しかし、我が家が建っている "伊奈町" の田舎ではマイカーは必要だ。
トヨタ、日産などを見て回ったが、外車 BMW に乗ってしまってからは、国産車の場合、最高級車でも物足りない感じで、あちこち見ても決めることが出来ない。

ふっと思いついた。
雇われ院長の時に院長車として充てがわれたBMWは、僕のみが2年間乗っただけである。

けんか別れをしたが、その車は譲ってもらえる可能性がある。

そこで、前の理事長に電話した。「 350万円で譲って貰えないか 」 と、
そうしたら、直ちに 「 OK 」 とのこと。
まあまあかな。

この車はその後 14年間乗っている(H26年現在)

PC081268 293-220
  PC081270 293-220



リハビリ専門病院に勤務するまでの期間に、
鹿児島旅行、ヨーロッパ観光(ドイツ、イタリア)


1)鹿児島観光、
2000年(平成12年)5月3日〜7日、義父と夫婦の三名)
  05/03 (羽田 -> 鹿児島) サンロイヤルH泊
  05/04 鹿児島市内観光(西郷隆盛 関係)サンロイヤルH泊
  05/05 磯庭園(仙巌園)   サンロイヤルH泊
  05/06 知覧武家屋敷、知覧特攻平和会館 指宿観光H泊
  05/07 (鹿児島 -> 羽田)


2)ヨーロッパ観光、
2000年(平成12年)7月16日〜29日、夫婦での旅行) 
この旅行記は、「第九部 国際学会、海外旅行」の項に記入予定

07/16(成田)->(フランクフルト)フランクフルト(Arabella Sheraton Grand)泊
07/17 ライン川クルーズゲーテハウス見学(Arabella Sheraton Grand)泊
-------------------------------------------------
07/18【 My bus ツアー 】 フランクフルト -> ハイデンブルグ観光
 -> 古城街道 ローテンブルグ -> バート・メルゲントハイム泊
07/19 バート・メルゲントハイム -> デインゲルスピュール ->
ノイシュバンシュタイン城->ミュンヘン ミュンヘン(HiiltonHote)泊
--------------------------------------------------
07/20 ミュンヘン市内半日観光(マリエン広場)
(ミュンヘン)->(フィレンツエ)フィレンツエ(Gr. H. Majestic)泊
07/21 フィレンツエ市内半日観光【My bus ツアー】  
ウフィッツイ美術館、 フィレンツエ (Gr. H. Majestic)泊
---------------------------------------------------
07/22【JALユーロバス】
フィレンツエ->ラベンナ観光 -> ベネチア(Hotel Amadeus)泊
07/23 ベネチア市内半日観光 ベネチア(Hotel Amadeus)泊
07/24 べネチア 観光 ベネチア(Hotel Amadeus)泊
-----------------------------------------------------
07/25【JALユーロバス】(ベネチア)-> ベローナ観光
-> ミラノ ミラノ泊
07/26 ミラノ市内半日観光 ドウオーモ屋上 ナヴィリオ地区 ミラノ泊
07/27 (スイス)フォックスタウン・アウトレットツアー ミラノ泊
07/28(ミラノ)->(フランクフルト)12:10 (フランクフルト)17:30LH
   07/29(成田)11:25




blogram投票ボタン

テーマ : ブログ
ジャンル : ブログ

タグ : リハビリ専門病院 のぞみ病院 消化器科新設 BMW 525i

プロフィール

kagonmakouchan

Author:kagonmakouchan
昭和19年11月25日撮影。
左の健三が満1才の記念写真。
右の俊二は5才4ヶ月、
中央の僕は8才8ヶ月である

最近の記事
最近のコメント
最近のトラックバック
月別アーカイブ
カテゴリー
ブログ内検索
RSSフィード
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる