リハビリ専門病院に勤務


 埼玉県で有名なリハビリ専門病院
 "のぞみ病院" に 「消化器科」 を
 開設して 勤務することになった



雇われ院長としての勤務は2年2ヶ月で終わらせた

埼玉県立がんセンターを平成10年3月31日に退職し、その直後の4月1日から "雇われ院長" として勤務した病院は、2年2ヶ月弱の勤務で、平成12年5月24日に急遽 退職した。

病院経営で新理事長と衝突したことが直接の原因であるが、
"責任のみ大きく、予想される万が一の時に、「マスコミの前でペコペコ頭を下げる事態になる」 ことは避けるべきである" 、
との考えが第1の原因である。


さて、今後の勤務はどうしようかな。
「もう "雇われ院長" は懲り懲りだ」
「今後は、内視鏡のテクニックを売り込み、二、三ヶ所の病院に勤務することにしようか」と思った。
    
5月10日ころ、ある製薬会社のMRさんが 
「のぞみ病院はどうでしょう」
「外来部門を大きく広く新築したので、旧病棟の建物は広く空いています」

      
のぞみ病院『 リハビリ専門病院 』
ではないか。
僕は、リハビリ病院に勤務する気持ちは全くなかったが、5月初旬に電話してみた。
そうしたら、「とりあえず話を聞きたい、至急来てくれ」、とのこと。
その数日後、事務長室で、病院長と事務長との話になった。

僕は、「もしこの病院に勤務することになれば、かなり広いスペースの部屋が必要になる」、
そして、「その部屋を内視鏡室として改装して、内視鏡機器一式を購入しなければならない」、
「その為には、5、6千万の費用がかかると思いますが」、と話した。

そうしたら、あっさりと 「 了解した 」、と ・ ・ ・
、、、「 エッ 」 と、僕。


"リハビリ専門病院" である "のぞみ病院" に、平成12年8月、 "消化器科" を新設して勤務することになった

内視鏡室の完備 (前処置室、内視鏡室、患者さんの更衣・安静室、上下水配管、電気系統) などに、約2、3ヶ月かかるとのことで、平成12年 8月1日 からの勤務になった。
   
僕が設計した内視鏡室が完成した。
そして、
備品として、電動内視鏡ベッド(僕は初めての使用である)、内視鏡洗浄装置、 オリンパス製の内視鏡光源・プロセッサー、 高周波発生装置、および、
内視鏡スコープ4本 (GIF-XK、GIF-Q、GIF-XQ、GIF-XP)
など が購入された。

僕は、週2回、火・金に内視鏡検査・処置を行い、月・木は外来日として、週4日間の勤務になった。

勤務した時は、64才だったので、約2、3年後に勤務した若手医師を教育して、
その後はその若手医師に任せることを目標にして、
僕は 約5年間位 勤務することを目的にした。

埼玉県立がんセンター、および、雇われ院長になった病院からの患者さん、そして、僕は 「内視鏡が非常に上手だ」 との噂の為、その触込みでの患者が受診してきている。
   ある患者さんからは 「鼻からの内視鏡検査を受けたが、先生の方が楽だ」 とも云われた。

僕の前処置は、キシロカインによる咽頭麻酔、および、アトロピン、ブスコパンの筋注のみ、
    そして、詳細な説明、いわゆる "ムンテラ" 、である。

最も大切なことは、挿入方法であるが、、、
、、、、・・・・・挿入が下手くそな医師が多すぎる。

「苦しくない」 「楽だ」 ということが、全身のリキミを取り、良いサイクルとなる!
    
埼玉県内の消化器の医師間では、僕が 「リハビリ専門の病院に勤務したそうだ」 「そのような病院に勤務して大丈夫なのか」
と、話の種になっていたようだ。


胃X線検査に関して

大腸のX線検査(注腸透視)は
、大腸内視鏡検査の普及と共に、試行すべきでないという風潮から、試行している施設は皆無になっている。

一方、

胃X線検査(胃透視、MDL)は今まで施行していた医師の大多数〜ほぼ全員が胃内視鏡を行うようになり、ほんの一部の医師(放射線科、内科医の一部)がアクティブに行っているに過ぎない。

これは、胃X線検査は約50年前に、放射線科から内科医が奪い取り、内科の医師が行う検査になっていた。
そして、その内科医の大半が "胃X線検査" を辞めて、猫も杓子も "胃内視鏡検査" を行うようになった為である。


 だから、胃X線検査はマイナーの検査法になってしまっている。
撮影はX線技師が行い、胃X線検査をまともに行えない医師が胃X線フィルムを読影しつつある !

しかるに、現時点(平成26年)でも、 "胃集団検診"、 "健康診断"、 "人間ドッグ" などでは、未だに胃X線検査を行っている。

約三分の一程度の患者さんは、X線にかわって胃内視鏡検査を選択するようになってきつつあるが、、、
      
誤診・誤診の時代になる
、ことは目に見えている。

のぞみ病院では、僕がX線技師を指導して、その技師が撮影し、僕が読影している。
しかし、重要な症例は、僕が撮影している。

今後、のぞみ病院には、胃X線を撮影したことがある、撮影出来る医師が勤務してくることを期待する。


中古3年目の " BMW 525i " を入手

我が家から "のぞみ病院" までは4km しかない。
しかし、我が家が建っている "伊奈町" の田舎ではマイカーは必要だ。
トヨタ、日産などを見て回ったが、外車 BMW に乗ってしまってからは、国産車の場合、最高級車でも物足りない感じで、あちこち見ても決めることが出来ない。

ふっと思いついた。
雇われ院長の時に院長車として充てがわれたBMWは、僕のみが2年間乗っただけである。

けんか別れをしたが、その車は譲ってもらえる可能性がある。

そこで、前の理事長に電話した。「 350万円で譲って貰えないか 」 と、
そうしたら、直ちに 「 OK 」 とのこと。
まあまあかな。

この車はその後 14年間乗っている(H26年現在)

PC081268 293-220
  PC081270 293-220



リハビリ専門病院に勤務するまでの期間に、
鹿児島旅行、ヨーロッパ観光(ドイツ、イタリア)


1)鹿児島観光、
2000年(平成12年)5月3日〜7日、義父と夫婦の三名)
  05/03 (羽田 -> 鹿児島) サンロイヤルH泊
  05/04 鹿児島市内観光(西郷隆盛 関係)サンロイヤルH泊
  05/05 磯庭園(仙巌園)   サンロイヤルH泊
  05/06 知覧武家屋敷、知覧特攻平和会館 指宿観光H泊
  05/07 (鹿児島 -> 羽田)


2)ヨーロッパ観光、
2000年(平成12年)7月16日〜29日、夫婦での旅行) 
この旅行記は、「第九部 国際学会、海外旅行」の項に記入予定

07/16(成田)->(フランクフルト)フランクフルト(Arabella Sheraton Grand)泊
07/17 ライン川クルーズゲーテハウス見学(Arabella Sheraton Grand)泊
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07/18【 My bus ツアー 】 フランクフルト -> ハイデンブルグ観光
 -> 古城街道 ローテンブルグ -> バート・メルゲントハイム泊
07/19 バート・メルゲントハイム -> デインゲルスピュール ->
ノイシュバンシュタイン城->ミュンヘン ミュンヘン(HiiltonHote)泊
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07/20 ミュンヘン市内半日観光(マリエン広場)
(ミュンヘン)->(フィレンツエ)フィレンツエ(Gr. H. Majestic)泊
07/21 フィレンツエ市内半日観光【My bus ツアー】  
ウフィッツイ美術館、 フィレンツエ (Gr. H. Majestic)泊
---------------------------------------------------
07/22【JALユーロバス】
フィレンツエ->ラベンナ観光 -> ベネチア(Hotel Amadeus)泊
07/23 ベネチア市内半日観光 ベネチア(Hotel Amadeus)泊
07/24 べネチア 観光 ベネチア(Hotel Amadeus)泊
-----------------------------------------------------
07/25【JALユーロバス】(ベネチア)-> ベローナ観光
-> ミラノ ミラノ泊
07/26 ミラノ市内半日観光 ドウオーモ屋上 ナヴィリオ地区 ミラノ泊
07/27 (スイス)フォックスタウン・アウトレットツアー ミラノ泊
07/28(ミラノ)->(フランクフルト)12:10 (フランクフルト)17:30LH
   07/29(成田)11:25




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タグ : リハビリ専門病院 のぞみ病院 消化器科新設 BMW 525i

このブログ(自分史)の目次

古いブログにどのような内容のものがあるかは、分かりづらい
 == 故に、ブログ(自分史)の目次を作成した ==

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       最終更新日:2014-4-15

なお、各々のブログ内に於いて
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最新ブログ(更新したもの) 2014.4.15
231)リハビリ専門病院に勤務 =>第八部


第一部 満州からの引揚げ(孤児、満州三兄弟)

01)満州からの引揚げ
02)上海での優雅な生活 - 幼少時から小学校低学年
03)上海での優雅な生活 - 新公園の思い出
04)上海での優雅な生活 - 狄思威路アパート
05)感激の瞬間、アパートの部屋発見
06)貧困な中国社会、その後の発展
07)「人民元」と「兌換元」
08)僕が経験した上海の現実
09)日本海軍特別陸戦隊
10)小学生の僕が美味しいと思った食べ物
11)上海から、満州・奉天へ疎開
12)ぼた山に人骨ギッシリ
13)[ぼた山に人骨ギッシリ] の考案 - アメリカおよび日本の狂気 == 外国から約300通のコメントあり、非公開とした
14)終戦、そして西本願寺に逃げ込む
15)ソ連軍、八路軍、そして国府軍の駐留
16)母ちゃんが死んじゃった
17)シラミと過ごした8ヶ月間
18)誰か食べさせてくれた人がいたか
19)盗みカッパライで食べた孤児の生活
20)優しかった満人の露天商(ポップコーン、煎餅)
21)満人の「人さらい」はいない
22)人殺し方法を夢見た日々
23)まる裸・フリチンで市内を縄跳び、捕まった
24)戦後の学校教育、冬の「三寒四温」
25)虫食いだらけのビスケット
26)引揚げ途中、10円貰ってオニギリ1個
27)引揚げ途中での悔しさ
28)引揚げ乗船前の行軍中のイライラ
29)引揚げ行軍中の生涯忘れえぬ大感激
30)人間魚雷発射軍艦(?)でコロ島から博多港へ
31)下船延期、博多の検疫病院に健三が入院
32)無一文引揚者に対する金銭援助・給付金
33)帰郷後、僕らを探してくれた人
34)奉天(瀋陽)を訪れる
35)メッセージになる僕らの体験
36)【付録】貧困な中国社会、その後の発展
37)【付録】アメリカおよび日本の狂気【本/社会】
 == 外国から約700通を超えるコメントあり、非公開とした
38)「自分史を書くに至った理由」
39) 抜けた真ん中、帰ってきた3番目



第二部 小・中・高校生時代(帰国後)

40)感心感心と云われて戸惑う、兄弟三人の引揚げ
41)全く分からない鹿児島弁
42)鹿児島の女性差別
43)小学生生の決闘、喧嘩の順番
44)雪の中を裸足で登校、小学生の時
45)川泳ぎ、大雨後の増水時に流される
46)川釣りを楽しむ
47)銀しゃりをたらふく食べた食べた
48)カイコさなぎの味噌汁、食べさせられた
49)ニッキの木の根をかじった
50)父の生前遺言「親兄弟でも保証人になるな」
51)小学生の僕が営業した貸本屋
52)金回りが良いのでチビのガキ大将になった
53)僕はレンタルビデオ店の先駆者だ
54)小学生の時の遊び(1)夢中になった遊び
55)小学生の時の遊び(2)特に熱中した遊び
56)父の再婚、健三を養子に出す
57)父への反抗、継母いじめ
58)健三「生みの親より育ての親」
59)真空管ラジオの制作、小学5年生
60)僕は勉強できると判明、鹿児島市内の中学に転校
61)僕は家を出て、長男としての任務は俊二へ
62)親に内緒でラ・サール高校を受験
63)開校当時のラ・サール高校の環境
64)ラ・サール高校でのクラブ活動
65)タイプライターで肖像画を描く
66)ラ・サール学園のハーモニカ部
67)ハーモニカ独奏について
68)分散和音奏法、ハーモニカ独奏
69)ラサール高校寮の環境
70)寮生の食事、娯楽、勉強環境
71)ラ・サールでの猛勉強の経験
72)工学部志望、このため浪人を希望
73)念願の予備校生活
74)4ヶ月間で浪人生活挫折
75)桜島の爆発、昭和30年
76)本に収まるポータブルラジオの制作
77)肺結核に対する恐怖心



第三部 大学・医学部時代(ジャズドラマー)

78)トランプで決めた医学部への入学
81)医学部・教養時代の生活
82)いいアルバイトと、キャバレーを紹介された
83)「水酌んでこい」「タバコ買ってこい」
84)ロカビリーを聞きに東京に行く
85)ミュージシャンの生活環境
86)ジャズの歴史
87)デキシーランドバンドに紹介された
88)平原勉のデキシーランドバンドの経験
89)ドラマーとしての評価を得た!
90)博多のキャバレーでの経験
91)父「それも良かろう今迄通り金送る」
92)長崎の「銀馬車」にドラマーとして勤務
93)ジャズ喫茶に出演
94)「重いリズム」「軽いリズム」
95)帰省中に、布団一式等が入質されていた
96)僕が好きだったジャズプレイヤー
97)非常にノリが良いピアニストとの出会い
98)バンドマスターの経験
99)僕が持っていたジャズレコード
100)フルバンドをコンボスタイルでドラミング!
101)ジャズバンドの構成
102)"アドリブ" と "フェイク"
103)ジャズの分類、三つのジャズスタイル
104)念願かなってビッグバンドのドラマーに
105)外人ショウを途中で中止させた!
106)ドラマーとテクニック
107)ビッグバンドの『ジャンゴ』
108)ジャズアルバイトから完全に手を引く 昭和37年

109)棘突起過敏症、そして肺結核に罹った
110)入院しながらの卒業試験
111)急性虫垂炎の手術、術後、緑膿菌の皮下膿瘍
112)3ヶ月遅れのインターン生活  昭和38年
113)インターン生、医師国家試験前に僻地に出張  昭和38年

114)学生ジャズバンド "スイングボート" 結成  昭和38年
191)新宿ピットインでジャズを楽しむ 55年頃 昭和55年 <= 第六部
192)タモリの店でジャムセッション、2時間 昭和55年 <= 第六部



第四部 大学院時代(アフリカ滞在 1年)

115)大学院でウイルス学を研究することになった
116)アデノウイルスの研究
117)アフリカに行くことになってしまった!!
118)アフリカへの珍道中1 パスポートを忘れた
119)アフリカへの珍道中2 もう飛行機に乗らない
120)アフリカへの珍道中3 インドでコーラ飲む
121)ケニア:ナクールの観光
122)「ムワンザ」到着直後、HeLa細胞のジャー爆発
123)#1 タンザニア「ムワンザ」での日常生活
124)#2 タンザニア「ムワンザ」での日常生活
125)東アフリカに於けるウイルスの研究(1)
126)東アフリカに於けるウイルスの研究(2)
127)ムアンザの夜の顔
128)軍隊内のダンスパーティーで踊り明かす
129)ビクトリア湖畔でくつろぐ
130)ウガンダのウイルス研究所を訪れる
131)タンザニアの道路、交通事情
132)無免許、酔っ払い運転
133)Williamson ダイヤモンド鉱山
134)セレンゲティ動物園へ
135)エピソードあれこれ、タンザニア
136)『マライカ』というタンザニアの歌曲
137)アフリカの土産物
138)銀行を摂取された! 至急帰国になった
139)イミグレーション:ビザを1ヶ月延長
140)タンザニアとおさらば
141)ケニアを観光して、アフリカを離れる
142)帰国した! = バンコック、香港を経由 =
143)ポレポレのタンザニア、コセコセの日本
144)世界一長い英語論文を書いた



第五部 医師として(長崎時代)

145)呼吸器を辞めて消化器専門になることにした
146)ゴルフは絶対にしない!
147)歌舞伎町 1夜で15万円!、昭和44年
148)苦しくない胃内視鏡検査
149)胃X線検査法に凝りに凝る
150) EBウイルス感染症か:高熱とリンパ節腫脹
151)昭和30年代の長崎の経済状態【追記】 => 89)の後半へ転記
152)東望病院での診療業務、家庭サービス
153)父が脳梗塞で倒れる
154)白壁彦夫先生に僕の強烈な印象を与えた
155)佐世保市立総合病院に勤務した
156)日中は診療に明暮れ、夜は "軍隊バー" へ
157)長崎の「早期胃癌研究会」
159)長崎大学病院の文部教官になった
160)「病理組織型別にみた胃癌の鑑別診断」
161)多くなった癌の主題:地方会のシンポジウム
162)巨大な両側性の珊瑚状結石が発見された
163)満州孤児の時の、弟・俊二のワダカマリ
164)紅葉見物「枯葉を見て何が楽しい」
165)胃穿刺吸引細胞診、1973年
166)文部省科学研究費 一般D、個人研究費
167)内定していた学会長を奪い取ってしまう
168)内視鏡学会長が分離独立した理由
169)実行委員として合同秋季大会(長崎) の準備
170)合同秋季大会(長崎)、学会当日の運営
171)田代美代子とデュエットした
172)「カキフライを食べよう」、柿フライ?
173)グルメの僕、特に魚介類が好物
174)死ぬ思いでフグを食べた
176)ライフワークの臨床的研究を論文に出来ず
177)長崎大学医学部の学生運動、昭和50年前後
178)僕は「真性多血症の疑い」ありと
179)息子が「ラ・サールに入学したい」と
180)「君マージャンするかね」と、村上教授
181)長崎大学を辞めて、埼玉に行くことに



第六部 埼玉県立がんセンター

182)採血しない看護婦、埼玉県立がんセンター
183)埼玉まで鳴り響いていた僕のドラマー
184)急性膵炎の為3ヶ月で12Kg体重減少
185)全身麻酔で声帯ポリープを切除
187)埼玉県立がんセンターでの勤務状態
188)灰色の巨塔1、開設時の埼玉県立がんセンター
189)灰色の巨塔2、開設時の埼玉県立がんセンター
190)アジア太平洋内視鏡学会で発表、s55年
191)新宿ピットインでジャズを楽しむ 55年頃 =>=>第三部
192)タモリの店でジャムセッション、2時間 =>=>第三部
193)厚生省から医療援助で沖縄に派遣された
194)抗癌剤のみで完全に治癒した進行胃癌症例
195)進行癌に対するレーザ治療
196)週刊誌グラビア特集の一面に掲載された
197)「ガン告知」がない時代が良かったか1
198)「ガン告知」がない時代が良かったか 2
199)「がん告知」の功罪
200)中心静脈栄養法カテ挿入ミスで大事故
201)「中心静脈栄養法」の進歩、発展
202)「中心静脈栄養法」の発展、CVポート
203)手持金10万円で49坪の一軒家を建てた
204)灰色の巨塔3、昭和50年前後の大学の医局
206)ミュンヘンの国際学会でレーザ治療成績発表
207)「先生は共産党員ですか」と
208)消化器内視鏡学会 埼玉部会の設立
209)厚生省がん研究助成金
212)癌性腹膜炎に有効な "MFP 療法"
213)第8回消化器レーザー内視鏡研究会を主催
214)僕とアツレキを生じていた? 父亡くなる
216)当センター大腸疾患の専門家、若くして急死
217)第8回日本消化器内視鏡学会関東セミナー主催
218)母の「50回忌」
219)業績1:病理組織型別にみた胃癌の鑑別診断
220)業績2:癌に対する化学療法
221)業績3:進行がんに対するレーザー治療
223)業績4:バルーンによるレーザー温熱療法
224)業績5:免疫、X線、症例報告
225)業績6:ウイルス学、その他の研究
226)埼玉県立がんセンター退職  <= 2014.1.5



第七部 雑文、その他

79)「ブーマージャン」
80)「カラ打ちパチンコ」
158)【考察】医者と製薬業界との関係
175)アルコール飲料は放射線防護剤になるか?
186)トランプ占いによる医学部入学、後日談
205)「川身変更の由来」残念至極の先祖の古文書
210)医学的 "差別用語"
211)医学用語・医学略語
215)レセプト病名、保険病名、カルテ病名
222)ルーレット必勝法(確率からの検討)
227)完全な禁煙に成功、55才 
230)風邪に抗生物質は効かない  <= 2014.2.2



第八部 がんセンター退職後
228)"雇われ院長" として勤務1
229)"雇われ院長" として勤務2
231) リハビリ専門病院に勤務  <= 2014.4.15




第九部 国際学会、海外旅行

最新ブログ(更新したもの) 2014.4.15
231)リハビリ専門病院に勤務=>第八部



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風邪に抗生物質は効かない


 風邪に抗生物質を出す医者が
 余りにも多いことにビックリ仰天!
 =儲ける為?、惰性?、勉強不足?




風邪はウイルス性の疾患である、
ウイルスには抗生物質は効かない!


一般に、「風邪」 「感冒」等と呼ばれているものは、上気道炎のことです。
「上気道」とは、"鼻腔"・"咽頭"・"喉頭部"(鼻からのど、気管の入り口)までを呼び、「下気道」とは "気管支" や "肺" のことです。

故に、上気道炎とは, "鼻炎", "咽頭炎", "扁桃炎", "喉頭炎" の総称で、これを「急性上気道炎」とか「かぜ症候群(かぜ)」とも呼んでいます。

「風邪」の原因のほとんどはウイルスです。

インフルエンザウイルスには、増殖を抑える「タミフル」等の "抗インフルエンザウイルス薬" がある。
しかし、インフルエンザ以外の “かぜ” のウイルスには、有効な「原因療法」となる薬剤はない。

風邪薬は、 発熱, 頭痛, 鼻水, 咳などの症状を改善させる為の 「対症療法」 である。

“かぜ” は免疫の力によって治っていく。

故に、ウイルス性の風邪には、" 抗生物質は全く効かないので "、使用すべきではない。


殺菌作用、消毒作用があるものは、

1)イソジンガーグル(ポビドンヨード) での "うがい薬"。
殺菌・殺ウイルス作用があり、口やのどの細菌を殺す。 通常、咽頭炎、扁桃炎、口内炎、抜歯創などを軽減させる。
2)SPトローチ(塩化デカリニウム)は、一種の消毒剤のようなものであるが、咽頭炎には有効。
また、"のど飴" は口腔の乾燥を予防するので、咽頭炎の助けになる。  


なお、いろいろな疾患が、例えば、"ウイルス性肝炎" などが、いわゆる "風邪" 症状で発病することは非常にマレではあるが存在する。

そして、稀であるが (数%位?) 風邪様の症状で、"扁桃腺炎"、"気管支炎"、"肺炎" など 「細菌感染」 を合併する場合がある。
この場合には、それぞれに有効な抗生物質を用いた治療が必要。


治療方針、薬の処方箋のこと等は医学部では習わない。
一般に、卒業後に先輩の処方を見聞きして学習する。

    
1) 医学部の講義は全科目必須である。故に、どこかで手を抜く、

  細菌学、ウイルス学を手を抜き安い、、、
  はたして、ウイルスのことを良く知っている学生はどれだけ居る?
    
2) 医学部学生の時は、診断は習うが、具体的な治療は習わない。

     
3) 一般に、治療方針、使用薬剤は、卒業後に先輩から教わる。

    
4) 学会、研究会、勉強会で、薬剤のことを教わることが多い。
  しかし、風邪に対する「対症療法」のようなことは取り上げられない。
      
5) 以前は、医師・病院は、クスリを多く使わないと、儲けない、下手をすると倒産に至るような医療制度であった。


日本人は、非常にクスリ好きであり、特に注射好きだった!

,患者 「風邪を引いたので、注射をしてくれ」 −>
,,,医師 「ヨッシャ」と、 注射(主に鎮痛解熱剤としてメチロン


 (参照)医療用医薬品 : メチロン (商品詳細情報) - KEGG
 (参照)メチロンの麻薬への指定 東京都福祉保健局

   
,,,,,,患者と医者との利害が一致して・・・


6) 近年、厚生労働省の方針が変更され、"院外処方箋" (調剤薬局)が重視されるようになった。

そして、医師の技術料が上がり、クスリを多く使ってもあまり儲からなくなった。

しかし、現時点でも、"院外処方箋" は出さずに、"院内処方" でクスリで少しでも儲けようとしている医師・病院は少なくとも3割は存在する。


風邪に抗生物質を出している医者の言い分・・

1) 何となくあまり考えないで、、、今まで通りに
  僕も、医師のなりたての頃、小児に 「クロマイパルミテート」 を、
何の疑念も持たずに使用していた・・・先輩の処方をまねして。


 (参照)クロラムフェニコール:クロロマイセチンパルミテート

2) 抗生物質は効くはずだ


3) 万が一の細菌による合併症を予防のため

 しかし、
  合併症が万が一発生してからでも遅くない。手遅れにならない。
      
4) 風邪ではなく、細菌性の疾患だったら、と心配

  => 胸部X線を摂ること。 採血する (白血球、好中球) こと。
  *細菌性だったら、白血球、好中球が上昇。
      
5) 経過中にウイルス性ではなく、細菌性の疾患だった、と判明することが心配
(誤診)
        
6) 今まで使って来た。"抗生物質" を使わないと心配になる

      
7) 抗生物質を辞めてみる度胸が無い

  

僕は、今まで1回も風邪には抗生物質を使ったことがなかった。

   "雇われ院長" の時に、全員、15名の医者、が使っているので、僕も使ってみた。

  さて、それからが大問題、抗生物質を使わないようにするのに 3ヶ月 かかってしまった!


8) 「儲かるから」

医者(臨床医) は、人間の病気、ひいては生命を (ターゲットとして)生活の糧にしている職業であるが

「儲かるから」 と患者に負担をかけてはならない。



風邪症状を呈していて、風邪(ウイルス性)と診断しても 仕方が無い "細菌性疾患" (扁桃腺炎、気管支炎、肺炎)10名に1人(10%位) 存在したとしても、

10名中、9〜10名に抗生物質を投与している医師は

「ヤブ医者」 「儲け主義」 と云われても仕方がないだろう。



"風邪に抗生物質" に対する諸説・他医の意見

日常の臨床では風邪に抗生物質が処方される事が多いのはなぜか。
1)細菌が原因疾患の疑いがある  2)経過中に細菌感染症を続発した場合
3)細菌感染症の続発が心配  4)患者さんの強い希望がある場合、に処方


 (参照)かぜと抗生物質

抗生物質は「風邪」には効かない
抗生物質の害としては、まず 「腸内細菌」(善玉菌) を殺してしまう。
「耐性菌」 の問題あり。


 (参照)風邪に抗生物質は効きません

「風邪の時に抗生物質を出す医者は、悪い医者
1. 風邪を治す薬というのは西洋医学にはない。
2. 抗生物質は、二次的な症状の抑制を目的としたものである。


 (参照)抗生物質を飲むと風邪が治る、と信じているあなたに注意報

一部のマクロライド系という括りの抗生剤の中には、
気道粘膜からインターロイキンを出させ、免疫を増強させ、気道を強くする作用がある。

気道粘膜に働き、分泌される水分を減らす作用もある。
痰に含まれる水分を再取り込みさせ、痰を減らす。
・・・ということで、風邪そのものに抗生剤は効く 効かない と一概には言えない。


 (参照)抗生物質って風邪に効くの? - 楽天 みんなで解決!Q&A

小さい子ほど できるだけ 抗生物質 は飲まない方が良い。

 (参照)風邪に抗生物質 - So-net

「抗生物質が、風邪をひいている期間を短くする」 などという科学的論文は存在しない。
どうして風邪に抗生物質がやたらと使われるかと言えば、
その答えは 医者が 「儲かるから」 である。


 (参照)風邪 - Wikipedia

諸外国でも抗生物質は処方されていて、ある研究では78%に抗生物質が投与され、その3分の1が広域の抗生物質だったそうです。
日本では、薬を沢山出せば出すほど医者の収入は増える。


 (参照)風邪に抗生物質は有害です(たぶん):救急科専門医の独り言 ...

風邪に抗生物質は効きません。なぜ抗生物質は二次感染に効かないのか。
風邪を引いて常在細菌叢がウイルスと戦っているときに、その大事な善玉菌を抗生物質で殺して二次感染の予防になるとは考えられない。
抗生物質を飲んでいても二次感染は起こり得る。
むしろ予防的に抗生物質を使うことは、 耐性菌問題! 「MRSA」とか 「耐性緑膿菌」


 (参照)風邪と抗生物質

「カタル症状」とは、咳や鼻水、咽喉頭の痛みといった諸症状のことを指す。
カタル症状が出ている = 風邪と診断されることが多い。
ただし、他の疾病などにおいては、こうしたカタル症状が出ることもあるので注意が必要である。


 (参照)カタル症状 - 健康診断

風邪はウイルスの病気です。抗生物質はウイルスには効きません。
効かない薬を出すのは、抗生物質の効かない耐性菌を作るなどの害があります。
それなのに、風邪に抗生物質を出す医者は、「藪医者」なのです。
「風邪に安易に抗生物質を出すので、耐性菌が増えたのだ」


 (参照)風邪に抗生物質は悪か?:六号通り診療所所長のブログ:So-netブログ


風邪にたいする言い伝えや民間療法

「風邪には "たまご酒"」

 (参照)ただの迷信じゃない! 風邪のひきはじめの症状緩和に「卵酒が効く」のは
 (参照)卵酒 - Wikipedia
 (参照)たまご酒は風邪に効きますか?
 (参照)風邪に「たまご酒」は効きますか?


「風邪には "生姜湯"」

 (参照)第005回 風邪に対する言い伝えや民間療法について(1) - Life Style First

「風邪には "ネギ"」

 (参照)やっぱり効果あり?“風邪にはネギ”という言い伝え [社会ニュース] All Ab
 (参照)メイコーポレーション - やっぱり効果あり? “風邪にはネギ” という言い伝
 (参照)【ホスピタルシティ】風邪にはネギ|風邪 ネギ 効果


「寒いと風邪をひく」

 (参照)寒いと風邪をひくのは本当? 低温時は風邪への免疫反応が弱まることが ...

「寝るときの濡れマスク」 

 (参照)風邪の引き始めに効果的

「風邪に効く食べ物・食事メニュー」

 (参照)風邪に効く食べ物・食事メニュー



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"雇われ院長" として勤務2


 埼玉県立がんセンター退職後
 休養期間をおかずに、直ちに
 私立病院の "雇われ院長" になる



埼玉県立がんセンターを平成10年3月31日付けで退職した後、翌4月1日から某私立病院に "雇われ院長" として勤務した。

びっくり仰天、全身静脈麻酔剤での胃カメラ検査、 "雇われ院長" の病院での経験

"雇われ院長" になって間もない時、「先生、胃カメラの準備が出来ました」と内視鏡室に呼ばれた。
その内視鏡室は、僕が設計して作り直したものだった。

ある患者がドルミカムによる全身静脈麻酔で、全く意識がない状態でベットに横たわっていた。

僕はこのような意識が無い状態の患者の胃内視鏡検査を行ったことはなかったが、仕方なく内視鏡スコープを胃内に挿入した。    
胃内を内視している途中で、その患者が  
い き な り "ム・ク・ッ・ト" 起き上がり座り込んだ。
 患者は完全に無意識の状態!
僕はビックリ仰天。 
反射的に、スコープを患者の体位に合わせて持ち上げていた。
(患者がスコープで、口腔〜食道入口部に大きな損傷を起こさないように)

このような患者の体動は、全く意識がない状態でのことなので、ドルミカムによる副作用(興奮状態?での動作)、と思われる。

ドルミカムの拮抗薬アネキセートを投与、約2時間後にやっと覚醒した。
その患者は、「もう終わったのですか。全く苦しくなかったです」と!
なんたるこっちゃ!!!


また、別の患者は、勿論、施行医師は僕では無かったが(大腸内視鏡検査?) アネキセートを投与しても全く覚醒せず、自発呼吸が出来ない状態になり、
人工呼吸器で呼吸を行うこと3時間やっと人工呼吸器を外すことが出来た


「やはり、ドルミカムは怖い」
「この病院ではどのような医師に対しても、二度とドルミカムによる全身静脈麻酔による内視鏡検査は行わせないようにする!」

この病院からドルミカムを使用禁止にすることを決めて、通達を出した。


内視鏡検査の前処置剤として、抗不安薬、麻薬、睡眠薬、全身麻酔薬などを用いたもの

当時、内視鏡前処置剤として、いろいろな薬剤が用いられてきた。
現在でも用いている施設、医師は存在する。
代表的なものは、(但し、保険適応は殆どない)

1)抗不安薬、ジアゼパム(セルシン、ホリゾン)
 5mg〜10mg(1 A) 筋注(かなり痛い)、,,,まれに静注
  ・・・僕も昭和40年初期には使っていた。

 (参照)ジアゼパム:セルシン,ホリゾン

2)麻薬、オピスタン,,,,,1A:35mg, 50mg
  ・・・僕も昭和40年初期には使っていた。
 A)1A、筋注
 B)1/2A 静注 -> 1/2A 点滴静注、など
  * 麻薬拮抗剤:ナロキソン塩酸塩、レバロルファン等

 (参照)オピスタン注射液50mg 医薬品情報・検索 イーファーマ
 (参照)大腸カメラ(大腸ファイバースコープ)に関して
 (参照)楽な内視鏡(胃カメラ)検査 - その他(健康) - 教えて!goo
 (参照)ナロキソン - Wikipedia


3)睡眠薬、ロヒプノール
 1A(2mg, 1ml) を10倍に薄めて、その2〜4ml を静注
 *慈恵医大方式(胃内視鏡検査)

 (参照)ロヒプノールの効能・副作用

4)全身静脈麻酔薬、ドルミカム
  *拮抗薬:アネキセート

ドルミカムによる全身静脈麻酔は、非常に危険である。
最も問題になる大きな副作用は「呼吸抑制
のようだ。


 (参照)ドルミカム(ミダゾラム)注射液
 (参照)ベンゾジアゼピン拮抗薬(アネキセート)
 (参照)人工呼吸器 - Wikipedia


「ドルミカムの全身麻酔」が "内視鏡前処置" に用いらるようになったのは、初期の大腸内視鏡検査であった。
ところが、大腸内視鏡の挿入技術が向上すると共に用いらることが少なくなった。


  
その後、上部内視鏡検査(胃カメラ)の挿入は難しく、患者をゲーゲーさせることが多い」のでとの理由から、胃カメラの前処置剤として用いる医師が出て来た。
そして、「胃カメラの時にはドルミカムを使った方が良い」と云う大学教授まで出現して、ドルミカムを用いる施設が少なからず存在した。

あるがんセンターでは、上部消化管内視鏡検査で、あまりにも患者からの苦情が多かったので、一時期、ドルミカムを全例の患者に用いたことがある。
そして、患者からは「非常に楽だ」「今まで何故使ってくれなかったのか」などと云われたことがあるようだが、現在は用いられていないようだ、との噂である。


現在では、ドルミカムを用いる施設は非常にマレ?になって来ている、と思われるが・・・


 
内視鏡挿入法を全く勉強しないで、
 薬剤に頼る医師があまりも多いことが問題!


.
(参照)苦しくない胃内視鏡検査(二ツ木)
、、、、、、、、、、  クリック 




膵炎の再発、入院しながら診療、1999年3月

"雇われ院長" として勤務11ヶ月後の 1999年3月1日に、急性膵炎が再燃した。


 (参照)急性膵炎の為3ヶ月で12Kg体重減少 昭和53年
    
特別室に入院しながら、週2回の外来勤務、週1回の内視鏡検査には従事した。
      
膵炎発作は、ある程度落ち着いたので、3月16日に退院した。



がんセンター時代の僕の患者の約過半数は、この新しい病院に通ってきてくれていた。
これらの患者には僕の病気のことは隠していたつもりだったが、その内の数名の患者が見舞いに来てくれた。
隠したつもりだったが、バレバレだったようだ。

その病院では、僕の 
約2,000の値に上昇した血清アミラーゼ値は、 
 約4日後には、ほぼ正常値に近い値まで低下
した。


これは、この病院が、毎日血液検査を行った為である。

このこと、

急性膵炎の時に、血清アミラーゼ値はほぼ3〜4日で正常値に近い値になる(ことがある)、と知ったことは、この病院のお陰である。

膵炎の診断は、一般に、アミラーゼ値の上昇で診断される


外来では、腹痛の1週間後ころに患者を診察することが多いが、
血清アミラーゼ値は早期に正常値に近くまで低下する」こと(がある)を知っている医師は数少ない、と思われる。

それ故に、外来では軽度の膵炎はかなりの頻度で診断出来ないで 、胃炎だろう位に診断さることが非常に多いのではないか、と思われる。



公立病院の経験が非常に長い僕は、私立病院の利益を最優先する経営には全く不向きだった

今回の "雇われ院長" 勤務までの、僕の履歴は、
1)医学生時代 7年:昭和31年〜昭和38年卒業(1年間休学)
2)インターン 1年:昭和38年〜昭和39年
3)医師国家試験:合格 昭和39年
4)大学院医学研究科 4年:昭和39年〜昭和43年
   昭和41年〜昭和42年:アフリカ・タンザニアに滞在
5)社団法人 是真会東望病院 に勤務 昭和43年7月〜昭和46年9月
6)佐世保総合病院 昭和46年10月〜昭和47年9月
7)文部教官(長崎大学医学部)昭和47年9月〜昭和52年1月
8)埼玉県立がんセンター 昭和52年2月〜平成10年3月


公務員としての勤務は、佐世保総合病院〜長崎大学医学部〜埼玉県立がんセンター、の計26年6ヶ月間で、民間病院に勤務したのは社団法人に勤務した3年3ヶ月間であった。

社団法人の経営は、ゆったりとしており公的病院に近い
ものだった。
故に、僕は個人経営病院に勤務したことは殆どない、と云えた。

僕は、"雇われ院長" として勤務した平成10年4月から平成12年の2年間に、今までの病院の赤字を解消出来た。
   
そこで、僕と同年齢、同学年であった理事長は、理事長職から手を引き、理事長職を娘さんに譲った



病院経営問題で、新理事長(娘さん)と運営方針で衝突して、
"雇われ院長" 職は2年数ヶ月で終えることになった。

 僕には「利益をあげることが唯一の病院経営は全く無理である」


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タグ : 私立病院 雇われ院長 全身静脈麻酔 胃カメラ検査 膵炎 経営

"雇われ院長" として勤務1


 埼玉県立がんセンター退職後
 休養期間をおかずに、直ちに
 私立病院の "雇われ院長" になる



私立病院に "雇われ院長" として勤務

僕は1998年(平成10年)3月31日、埼玉県立がんセンターを退職した直後、1日の休養期間も置かないで翌日の4月1日から、経営が苦しいと云われていた 私立病院に "雇われ院長" として勤務した。

何故、その病院に勤務したか?
,,,,,僕が経営を立て直してあげよう
、との "気負った" ?!? な気持ちから。


その病院は、僕ががんセンターを辞める約10年位前に開業した "私立病院" だった。
僕はその院長とは面識があった程度で、親しい間柄でなく、特別な繋がりは無かったが、その奥さんとは長崎大学教養部時代に同学年だった。
彼女は "薬学部"、僕は "医学部" であり、教養部時代は医学部と薬学部とは同じ講義を受けることが多かった。

その院長は、開業して数年後に癌で亡くなり、院長不在になった。 
娘は医学部生
であった。

故に、その奥さんが "理事長" として、病院をどうにか経営していた。
しかし、全ての医師は雇い人であり、病院を食い物にした医師、病院長もいたとのことで、経営は苦しかったようだ。

そのような環境で、どうして倒産しなかったか、
"理事長" はしっかり者」「がめつい」「頑固」「口やかましいなどの噂があったが、その通りであろう。だから倒産しないで済んだと思われる。

僕が勤務した時には、娘さんが卒業数年目の若手医師として、
しかし、経営者(の娘)として・・勤務していた。

"理事長" の僕に対する期待が大きかったのだろう。

新しい院長としての僕に対して、
 院長車として " BMW " があてがわれた。


僕は、オートマチックの車はエンジンブレーキが殆ど効かないので大嫌いであった。
また、ドアミラーは見にくいのでダメ!フェンダーミラー愛好者だった。


しかし、これを契機として、オートマチック、ドアミラーの車に乗ることになった!


その病院は救急病院であったが、僕は "救急医療" は無難にこなした。

大学院卒業後に長崎で最初に勤務した病院は公立病院ではなく、長崎市郊外に存在する 社団法人「是真会 東望病院」で、3年数ヶ月間の勤務であった。


その病院は、元来「結核療養所」であったが、エタンブトール (EB)、リファンピシン (RFP) など、結核に非常に効果がある薬剤が開発されてから、結核は激減、ほぼ消失し、「結核療養所」の過度期であった。

 (参照)エタンブトール (Ethambutol):抗菌薬インターネットブック
 (参照)リファンピシン (Rifampicin):抗菌薬インターネットブック





是真会病院のような「社団法人」の病院(当時の)は、民間病院ではあるが、利益を追求する医療法人とは大きく異なっていた。

病院の財産の全てを国に寄贈して、運営のみを国から任されている形態だと説明されていた。故に、経営者もサラリーマンと同様に月給制度だった。
財産の全てを国に寄贈するのだから、その当時、社団法人の病院は日本全国に3ヶ所のみしか存在しない、と聞いていた。

病院運営については、赤字を出したら病院側で何とかしなければならない、
一方、利益を出したら全て国に吸収される。
故に、黒字になりそうだったら、設備を買い替えたりして、なるべく黒字額を減らすようにしていた。
この点では、ギスギスしない病院運営が出来ていた、ようだ。

 社団法人「是真会東望病院」は後継者が居ないため数年前に存在しなくなった(倒産という言葉は不適切だろう)。
 現在では、このような形態の "社団法人" の病院は存在しないようだ。

 (参照)社団法人 - Wikipedia


その結核療養所は入院施設と離れた場所に「外来診療所」を設置していた。
そして、"救急医療" を行っていた。

 (参照)呼吸器を辞めて消化器専門になることにした

僕は、整形外科一般外科、内科(消化器、呼吸器、内分泌、循環器)は無難にこなしていた。
膝関節腔内への薬剤注入(局注)などは無難に こなしていたし、外科医である院長の助手として外科治療にもタッチしていた。

だから、"救急医療" 自体は、僕にとっては大きな負担ではなかった。
負担として感じてはいなかった




僕が "雇われ院長" として勤務した埼玉県の病院の地区には、当病院を含めて三つの "救急病院" が存在したが、当病院は "救急病院" としては、三流の評価だった。

故に、他の二つの病院から拒否された患者、拒否されると思われる患者が搬送されて来ることが多かった。


救急車で搬送される患者の殆どは、意識レベル 3003-3-9度方式 [JCS] )であった。
そして、数時間前に明らかに死亡してしまっている(心肺停止)患者さえも搬入されて来ることは稀ではなかった。
このような事例では、休日の場合、当直医に任せることは出来ず、院長である僕が出動した。

救急病院を選ぶのは、まず救急車に乗っている消防隊員達であった。
救急救命士は、その当時は、まだ殆ど存在(勤務)していなかった。
そこで、僕は救急車に出来るだけ同乗して、消防隊員、救急士達と仲良くなった。
そうすることによって、まあまあの患者も搬送してくれるようになった。

意識レベル 3-3-9度方式 [JCS]

 参照)意識レベル
 参照)GCS/グラスコーコーマスケール/意識レベル/JCS/脳波
 参照)意識レベル表 - So-net


パルスオキシメーター

 (参照)パルスオキシメーター - Wikipedia 


入院患者が急変した場合には、当直医に任せる訳にはいかないので、院長である僕はほぼ毎日、病院勤務から解放されるのは、午前2、3時だった。
かなりの激務、常に過労ぎみであった!


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kagonmakouchan

Author:kagonmakouchan
昭和19年11月25日撮影。
左の健三が満1才の記念写真。
右の俊二は5才4ヶ月、
中央の僕は8才8ヶ月である

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